1 2 神戸のフラワーショップ「レフアフラワーマーケット」店主の徒然草 先哲の教え
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先哲の教え
2012/07/14(Sat)
私は困難が立ちはだかった時、先哲に教えを請うことがある。

その先哲の中に司馬遼太郎さんがいる。

この度の大震災、原発事故、そして大飯原発再稼働。

大飯原発再稼働については様々な議論が繰り広げられている。

これに関して司馬遼太郎さんが生きていたら
何と言うだろうと思いが巡る。

それに関してヒントになる著書が日本の行く末を憂い
小学校5・6年生の国語教科書のために書かれた作品
「二十一世紀に生きる君たちへ 」にある。

以下、抜粋。

さて、君たち自身のことである。
君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。
自分に厳しく、相手にはやさしく。という自己を。
そして、すなおでかしこい自己を。
21世紀においては、特にそのことが重要である。
21世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。
科学・技術がこう水のように人間をのみこんでしまってはならない。
川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が科学と技術を支配し
よい方向に持っていってほしいのである。

右において、私は「自己」ということをしきりに言った。
自己といっても、自己中心におちいってはならない。
人間は、助け合って生きているのである。
私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。
斜めの画がたがいに支え合って、構成されているのである。
そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きている。
社会とは、支え合う仕組みということである。
原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。
それがしだいに大きな社会になり。
今は、国家と世界という社会をつくりたがいに助け合いながら生きているのである。
自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。

このため、助けあう、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。
助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。
他人の痛みを感じることと言ってもいい。
やさしさと言いかえてもいい。
「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
「やさしさ」
みな似たような言葉である。
この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。
根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をして
それを身につけねばならないのである。
その訓練とは、簡単なことである。
例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな
と感じる気持ちを、その都度自分中でつくりあげていきさえすればいい。
この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば
他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。
君たちさえ、そういう自己をつくっていけば
二十一世紀は人類が仲よしで暮らせる時代になるのにちがいない。


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